コロナ禍やウクライナ戦争、そして急激な円安や景気不安…。際限なく高まる数々の不安定要素に包まれる今だからこそ、それらに動じない企業組織の構築が求められます。変わりゆく世の中に上手く適応し、変わるべきでないものを守りつつ、長く持続的成長を遂げられる企業にするのはどうすれば良いのか。その要諦が、「ミッション経営」であると語る実践者がいます。数々の企業成長と再生を担い、スターバックスコーヒージャパンのCEOとして改革を実行し、業績を向上させてきた岩田松雄氏。同氏が語るミッション経営の本質とは何か。波乱に満ちた現代の企業社会を生き抜くために必要な、経営者が担うべき必須の使命について聞きました。
ミッションは20年、30年単位で変わって良い
ミッションとは企業の存在理由であり、「何のためにその企業が存在しているのか」を表すもの。リーダーはしっかりと組織のミッションを認識し、周囲に伝えていかなくてはなりません。一方で、世の中は常に変化しています。大きな環境の変化の中で、私は、ミッションそのものも20年、30年単位で変わっていいと考えています。
例えば損害保険大手の損保ジャパンさんの場合、主に自動車保険関連が中心事業でしたが、今後の自動運転化で自動車事故が減っていくことを見越して、国内の生命保険会社および海外の損害保険会社を買収しました。生命保険事業に進出するとともに、国内に代わるマーケットとして、新興国の海外市場を新たなターゲットに据えたのです。
さらに、従来の「安全・安心」という経営理念に「健康」を付け加え、ワタミさんの介護グループを買収するなど、大きな環境変化に伴ってミッションそのものを見直していきました。ミッションの進化は当然起こり得ることなのです。
スターバックス時代、私に寄せられた一通の手紙
そして、ミッションを中心に据えた経営を行うことでもたらされるメリットが数多くあります。従業員のモラルや仕事への誇りの向上、モチベーションのアップ、そして会社への帰属意識の高まりです。同時に、離職率も減少するといった結果がもたらされます。こうした効果を生み出す意味でも、ミッション経営は非常に重要なのです。――その例として、私がCEOを務めていた当時の、スターバックスコーヒージャパンでの一つの事例を紹介しましょう。
ある日、私宛にお客様から一通のお手紙がありました。読むと、幼い頃から心臓が弱く、移植の機会を待つ娘さんのお父様からの手紙でした。自宅の近くにある「スターバックスの二子玉川店が大好き」と言ってくださっていた娘さんが、心臓の移植のためにアメリカに渡る直前、「二子玉川店の焼きたてのシナモンロールが食べたい」とおっしゃったそうなのです。
けれども、朝早い出発のために、店舗はまだ開店前です。ただ、お父様から依頼をされた同店パートナーのFさんは、開店前の時間にシナモンロールを用意して、娘さんに手渡すために駅で待ち、作りたてのシナモンロールを娘さんに手渡した、ということでした。
娘さんは渡米むなしく、残念ながら亡くなってしまったのですが、そのときのパートナーの対応に感激したお父様が感謝のお手紙をくださったのです。想いを綴った言葉と共に、その娘さんはスターバックスコーヒーの二子玉川店が大好きで、そこで働くこと、パートナーのFさんと一緒に仕事をすることを目標に、日々病気と闘っていた…という話も記してありました。
「人々の心を豊かで活力あるものにするために――」
私はこの手紙をもらって驚きましたし、感動しました。厳密に言えば、パートナーのFさんが行ったことは、営業時間外に商品をお客様に届けるという、いわば会社のルール違反なんです。私はスターバックスの社長としての立場から、彼女に罰則を与えなければならないのかもしれません。けれども、「これこそがスターバックスだ!」と称賛し社内にこのお手紙の内容を伝えました。
あらためて、スターバックスコーヒーのミッションは、「人々の心を豊かで活力あるものにするために。ひとりのお客様、一杯のコーヒー、そしてひとつのコミュニティから」というものです。このミッションを、Fさんは見事に体現してくれました。このミッションを実現するためにスターバックスは存在します。その実践によって、社員一人ひとりのモラルや仕事への誇り、モチベーションは高まり、それがブランドとなって企業価値を上げる源泉になる。それこそがミッション経営の素晴らしさなのです。
スターバックスコーヒーには、オペレーションマニュアルはありますが、サービスマニュアルはありません。サービスマニュアルがない代わりに、「人々の心を豊かで活力あるものにするために」――このミッションの共通理解があればいいのです。そこで生まれるお客様への対応は、マニュアル重視の接客では絶対にできません。普段から自分たちのお店の存在理由、ミッションについて理解し共感してくれているからこそ生まれた、素晴らしい行動だったと思います。
リーダーに求められる「8つの心構え」
今回、ミッション経営の大切さについて話をしてきましたが、これからのリーダーが持つべき心構えとして、私は次の8つの要素を掲げています。
◇高い志を持つ
高い志、つまりはミッションのことです。最初から世のため、人のためでなくても構いません。自分のため、家族のため、仲間のためでもいいのです。会社の成長と共に、自分自身と経営理念(ミッション)も成長させることが必要です。
◇徳を高める努力をする
経営者は「どうやって人を引っ張っていくか」「どう人を管理すべきか」という思考になりがちです。その前に、自分自身の徳を高める努力をすることが大切で、周囲を「あの人が言うのならやってみよう」という気持ちにさせることが重要なのです。そのためには、小さな約束を守り、言ったことは必ずやることです。そうやって一人一人との信頼関係を構築することが大切です。
◇無心の心を保ち続ける
リーダーが何かの決断をしなければならないとき、自身の意思決定の中に少しでも私心が混じっていると、後で批判されるとぐらつくものです。けれども私信が無くお客様のため、社員のために正しいことをしたと思えれば、どんな批判も怖くはありません。常に無心の心を保ち続けることがとても大切なのです。
◇素直さを持つ ◇範を示す
謙虚な心をもつことは重要であり、そこには素直な心が欠かせません。ですから自慢話や人の悪口は避けなくてはなりません。そして、自ら模範を示すことでこそ周りはついてくることを忘れないでほしいと思います。
◇怨みに任ずる覚悟を持つ
組織のミッションを達成するためには、リーダーは時には、フォロワーに対して厳しいことを言ったりやったりしなければならないこともあります。従業員のリストラや、会社を存続させるために事業部を閉鎖するなど、周囲に恨まれる決断を求められることもあるのです。その覚悟をもって対処することが必要です。いわゆるポピュリズムはいけません。
◇後継者を育てる
組織に良いDNAを残す、つまり人を育てるのもリーダーの重要な仕事です。自分の行動や姿を後進に見せ、人を育てるのがリーダーにとっての大切な役割であり責任です。
◇意中に人あり
リーダーは「常に誰かに見られている」ことを意識する必要があります。バレなければいい、という姑息な考えでは組織は絶対に成長しません。いま自分がやろうとしていることを、自分の子供に話ができるか否か。基本的に法律に触れることはしてはいけません。
こうした8つの原則を肝に銘じ、自らミッションを掲げ、従業員の共感を得ながら信じる道を進むのがリーダーです。
「大いなるパワーには、大いなる責任が伴う」映画「スパイダーマン」より――。
リーダーになると、とかく権力(パワー)のほうに目が向きがちになります。そうではなくて多くの人に対して大きな責任があるとの自覚や畏れをぜひ持ってほしいと思います。
ヒューマンタッチを増やすために、今こそDXの推進を
私はスターバックスコーヒー時代、常に「我々は新しい産業を創っている」と社員に言っていました。つまりスターバックスは「感動経験産業」である第五次産業を目指しているのだと。
私たちが目指したのは、単にコーヒーを販売するサービス業ではなく感動経験を提供する企業でした。ですからスターバックスコーヒーのライバルは、他のカフェチェーンではありませんでした。それは、ディズニーランドやリッツカールトンなどお客様に感動を提供する企業です。お客様の期待を超えた感動を提供するには、ルールやマニュアルを超え、ミッションを体現することで「そこまでやってくれるのか」という想いを提供する企業であることなのです。
その意味でも、こうした感動体験を提供するためには、人と人のヒューマンタッチが欠かせません。標準化できる「作業」はITやDXによってできる限り自動化し、よりヒューマンタッチな部分に力を注ぐべきです。人にしかできないことに注力すべきです。
「不易流行」という言葉があります。「いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものを取り入れていくこと」を意味します。これはまさに、ミッション経営におけるDX化の推進に当てはまります。
今や科学技術は驚くべき速さで進んでおり、DXを含めたテクノロジーの進展は非常に重要で、企業への導入は経営の合理化・効率化に欠かせません。それは同時に、人と人とのヒューマンタッチを増やすために不可欠な要素であり、ミッション経営の推進と合わせて行うべき重要なテーマでもあるのです。そのことを意識しながら、ぜひ今後の組織運営を行っていってほしいと思います。
■ 岩田 松雄(いわた・まつお)
1958年生まれ。日産自動車で、生産、品質、購買、財務、販売等様々な分野での現場経験をする。外資系コンサルのジェミニでは、主にクライアントのトランスフォーメーション(リエンジニアリング)を指導する。
日本コカ・コーラでは、購買を通じ、コスト削減に大きな実績をあげる。 経営者として、3期連続赤字のアトラス のリストラクチャリング実行と成長戦略の策定により黒字化、タカラでの子会社再編し、イオンフォレスト(THE BODY SHOP JAPAN)では、ブランドを再生し、売上・利益を倍増させた。スターバックスでは、新商品のローンチ、ニューマーケット開拓、新チャネル開拓を成功させ、再成長軌道に乗せる。経営において「人がすべて」の信念の下、人を大切にする経営を掲げ、 従業員のモチベーションアップを再成長の原動力にしてきた。UCLAビジネススクールより「100 Inspirational Alumni」に選出される。主な著書「ミッション」(アスコム)・「ついていきたい」と思われるリーダーになる51の考え方(サンマーク)・「新しい経営の教科書」(コスミック出版)その他多数