泉卓真氏へのインタビューシリーズ第2回。初回は oneplat のサービス内容を詳しく紹介しましたが、そもそも『いずみホールディングス』からなぜ oneplat というサービスが生まれたのでしょうか。
今回からは3回にわたって、いずみホールディングスの代表取締役社長でもあられる泉卓真氏に、そのわけを伺っていきます。
いずみホールディングスの未来に oneplat は必要不可欠だった
──前回は、金融プラットフォーム oneplat について泉社長自ら説明いただき、素晴らしいサービスだと思いました。本当に今までにない、まったく新しいものを作っていらっしゃいますが、このサービスの構想はいつからあったのでしょうか。
泉 創業から数年経ってなんとか事業が立ち上がり始めた時に、生鮮を中心とした食品流通業の分野で、業界日本一の企業になりたいと思ったのがすべてのきっかけです。ひと言でそうは言いましても、売上や利益、時価総額等、色々な「日本一」があると思うのですが、私はその時は目指すものを決めきれなくて。
売上が日本一になることも、当然利益も、そして時価総額も業界日本一を目指したいけれど、どれもこれも手に入るような都合の良い、幸せなことにならないかもしれない。でも、どれかひとつはどうしても成し遂げたいとは思っていました。そこにたどり着くために何が必要なのかを考えた結果、大きく分類をすると3つの分野にチャレンジをすることにしたのです。この「金融プラットフォームを自社で提供する」ということも、どうしても外せないその3つの分野のひとつだったんです。
どんな金融プラットフォームを提供するかという具体的なことまでは当時は考えられていなかったのですが、ただ、金融に関するソリューションは絶対必要だと当初から思っていました。
──創業当初から、かなり先まで見据えた事業計画をなさっていたんですね。具体的にお聞かせください。
泉 そうですね。3つの分野とは、資源と情報インフラ、そして金融で、それらの分野へのチャレンジが必要になると考えました。いずみホールディングスが現在、テーマとしている分野は、大きく「生産」「情報」「商品」「物流」「決済」にわかれます。「商品」と「物流」は、食品流通業者として当然ですが、とくに当時、これからの時代に大きく必要になるのは「生産」「情報」「決済」だと考えました。
「生産」は資源ビジネスと考え、資源保護の観点で考えた持続可能な生産を行いながら、いかにその資源を流通させるかを大学等と取り組みました。次に「情報」については、その資源の流通先を合理的に決められるようにするために、情報インフラが必要と考えました。流通している商品の一部分でも、先物や株、デジタル通貨のように、現物がなくても取引できる情報インフラを構築したいということです。それにはデジタルが必須になります。つまり、紙をデータにすることへのチャレンジが始まりました。
そして今が、「決済」、つまり金融です。この3つに順番に手をかけていって、最後に金融に辿り着いているというところです。
いずみホールディングス 18年のあゆみ
──創業時のお話が出ましたので、ここで少し泉社長のご経歴を確認してもよろしいでしょうか。社長は北海道のご出身で、元々は水産の卸売業で会社を設立されたんですよね。
泉 はい。
──2004年のご創業で、5年であっという間に札幌の繁華街であるすすきのを中心とした地域シェアナンバーワン企業になられたと伺っています。
泉 誰かが正確に調査したというわけではないでしょうから、私も事実かはわかりませんが。でも設立5年目ぐらいにはそう言われていたのは、記憶にあります。水産業界の革命児と、メディアにも勝手に呼ばれていた気がします(笑)。
──それ以降、とんとん拍子に事業展開をされていますね。水産から畜産や農産、物流まで手広く事業を拡大し、創業から10年と経たない2012年に、いずみホールディングスを設立されています。その後も M&A 等でさらに事業拡大を続けられて、今に至るというのがざっくりとした流れかと思います。
泉 まったくとんとん拍子ではありませんでしたが、概ね、おっしゃる通りです。創業からもう18年になるんですね。私が25~6歳の時に、会社を立ち上げました。
水産業界での創業を決めた理由
──そもそも、なぜ水産業からのスタートだったのでしょうか?
泉 事業を自分で始めるとなると、一般的には自分のスキルや経験から、マーケットやターゲットを考えますよね。私も色々と考えたのですが、ただ当時はお金が、資金がありませんでした。なので、手元にあった幾ばくしかないお金でスタートをすることが絶対条件で、その中でできるものを考えた結果、というのが答えになります。
そこで具体的には何を考えたかという話ですが。私はもともと外食産業にいたので、プロというレベルではなかったにせよ、食に携わるところは意外と知っていることが多かった、というのが第一にありました。
第二に、まだまだ当時の北海道はコンテンツが少なかったんです。「自然がたくさん」「食材がよい」「なにかおいしいものがある」とか、もうざっくりしていて、これぐらいしか言われてなかったと思います。観光もここ数年のような盛り上がりもあったように思えないし、今のようなデジタルコンテンツも当然なく、本当に何もかもが少なかった。
その中で、何かの本で「これからはアジアの時代が来る」と書かれていました。私は若くて無知だったので読んだ本の内容をそのまま信じていましたから、そのアジアの中で日本は何が優れているのか、日本でも北海道が「アジアで一番すごい」と誇れるものは何か、ということをさらに絞り込んで考えた時に、それがたまたま「食」だったわけです。
そして第三に、水産業や水産卸売業は長い歴史がある中で、その当時までは売るものも売り方も、ほとんど変わっていないという事実を知りました。誤解を招かないために申し上げますが、私は日本の食品流通は世界でも類を見ないレベルの高さだと思っています。その考えは今も変わっておりません。ですがあくまでその当時に私が思ったのは、お客様がそれぞれのお考えによって多様多様なご要望を持つ時代に、画一的な仕組みでは、大量に仕入れをしてくれる大手企業はよいとして、それ以外の方々にとっての利便性までは追及できないのではということでした。そういった理由で、「食」の中でも「水産」にチャレンジをすることにしました。
──北海道には「素材の良いおいしいもの」がたくさんありますものね。
泉 はい、「食」ってひとことで言っても幅広いですよね。食材からお酒まで色々とありますが、それらを消去法で考えても結果は同じでした。
まずお酒は、僕が飲めないのでダメ。調味料類も、在庫を多く持たないと難しそうなので、お金が無いからダメ。野菜は単価が低くて、例えば長ネギが98円で売れるとして、そのうちの10%をいただくとして9円の売上ですから、たくさん売れないとやっていけないわけです。それに肉はスライサーやひき肉を作る機械等、設備投資がたくさん必要となるので無理でした。 そうして考えて最終的に残ったのは、水産。ですので、やはり水産から始めることを決めました。
ワンランク上の流通業を目指して
泉 当然、事業規模が大きくなったり、その時々の環境によって企業が取り組むテーマも変化していくと思うのですが、その水産から始めた創業時にテーマにしたものが、今振り返ると良かったんだなと思っていて。
──気になります……! テーマとはなんだったのでしょうか。
泉 それは「流通業からサービス業へ」というものです。これを私の頭の中で掲げていました。
会社を立ち上げる前、私は当時身を置いていた外食産業を、完全にサービス業だと思っていたんです。ただ、残念ながらそのサービス業を支える業者さんはそうではなかった。例えば、当時の話ですが、市場では、業者さんが物を食べたりしながら商品を扱っていたりというのは、よく見られた光景でした。
そこで私は創業にあたって、この「魚屋さん」という流通業を、サービス業と呼ばれるところまで磨いたらどんな結果が生まれるのだろうと考えました。これがもし車だったら、ディーラーで新車を買っていざ納車の時に来るのが「アブラまみれのつなぎを着た工場の作業員さん」なんて、そんなことはあり得ませんよね。でも「魚屋さん」って、お客様がしっかり掃除をされているお店に汚れた作業着と長靴で配達に向かい、そのお店の中まで入って行くのを平然とやる。そんなことが当時はあり得ていたんです。
もっと言えば世の中の「〇〇屋さん」というのは、QSC(※Q:クオリティー(品質)、S:サービス、C:クリンリネス(清潔さ))のうち、サービスが欠けていても許されることが多い気がしました。例えば、ラーメン屋さんでは従業員がハチマキにTシャツで、無愛想に商品を提供しているお店でもおいしければ流行る事もあるのでしょうが、客単価3万円の鉄板焼きのお店で、同じ格好で同じサービスをしたならば、お客様は黙っていないと思います。
魚屋やラーメン屋のように「〇〇屋さん」と呼ばれるような業態は、サービス等、何か欠落していることがある意味許されているけども、でもそれって決して胸を張れることじゃないよなと思ったんです。
──差別化できるポイントを発見されたわけですね。
泉 具体的な差別化ポイントはもっと理論的な部分です。差別化って、取り組んでいる私たちはともかく、お客様が肌で感じるくらいの変化が無いと、差別化されていると認知して頂けないと思っているので。
差別化のポイントは、鮮度が良い、価格が安い等、当時の流通よりも、より良い仕組みや、より大きな価値を出せる流通方法等をシステム化していくのですが、それはまた追ってお話します。ここでは情緒的な部分になりますが、先ほどの例で言うと企業とは社会の問題解決業なので、お客様がしっかり取り組みたいと考えている部分は私が努力するべきことと考え、より厳しく見られる「サービス業」という土台で評価される食品流通業者になりたいと思いました。
──非常に理論的且つ緻密な経営戦略ですね。
泉 経営戦略というと大げさですが、もともと論理的な物事が好きなのと、やるからにはとにかく細かく分析するのが好きなんです(笑)。
25~26歳と当時の未熟な思考力で思いつくことはこの程度だったのだと思いますが、これが私のスタートでした。それでも今日に繋がっているのだと思うと、たまたまですが良い取り組みのひとつだったのかもしれません。
【次回】
まったく新しい金融サービス oneplat を作った株式会社 Oneplat 創業者 / いずみホールディングス社長の泉卓真氏。その原点は「サービス業としての水産卸売業」でした。
次回も引き続き、その後社長といずみホールディングスが辿った変遷をご本人の口から語っていただきます。ビジネスが長期化するにあたって泉社長が設定した目標とは?