いまやDX(デジタルトランスフォーメーション)を自社の喫緊の課題と考える経営者は非常に多いと言えます。DXによる変革が競争力の源泉を得ることに繋がり、昨今の厳しい経済社会を勝ち抜くことに直結するからです。
ただ一方で、旧態依然とした感性のまま、今のデジタル化の波に乗り遅れている経営者が少なくないのもまた事実です。DXによるイノベーションの必要性が叫ばれる今、日本の経営者の思考や感性も同様に、新たなフェーズへと刷新していくことができるのでしょうか。
競争戦略とイノベーションを専門分野に、長く企業の成長戦略を研究してきた楠木建氏に、企業競争力におけるDXの重要性等を聞きました。
「DS」から「DX」へと活動のフェーズを上げていく
DX(Digital Transformation / デジタルトランスフォーメーション)はいまや強烈な流行り言葉になっています。そのなかで経営者がまず理解すべきなのは、今やろうとしているのがDXなのか、それともDS(Digital Substitution/デジタルサブスティテューション)なのか? ということです。
DXとは、デジタルにトランスフォーメーションしていくということ。つまり主語はトランスフォーメーションであり、商売の稼ぎ方が変わることを意味します。
一方DSは、これまでデジタルを使わずにやっていた活動を、デジタルに代替すること。いま多くの企業は、事業やビジネスの変革を意味するDXまでは至らず、アナログからデジタルへの転換であるDSの推進に留まっているのではないかという気がしています。
もちろんDSが遅れているというわけではなく、企業にとって欠かせないものであるのは言うまでもありません。言いたいのは、DXを単なる流行り言葉として漠然と捉えるのではなく、2つの言葉の本質を理解し、DSからDXへと活動のフェーズを上げていくこと。それが企業を変えていく重要なステップとなるわけです。
DSを悩む必要はない、ただ実行すれば良い
ではあらためて、DSについて説明してみましょう。皆さんお分かりのように、企業活動の中で、アナログで行っていたことをデジタルで代替すれば、ほとんどの場合でコストが下がります。加えて、業務のスピードが上がります。
例えば、これまで経費の精算をアナログで行っていたけれど、人手がかかり、人件費が1千万円生じていたとしましょう。それをデジタル化で人員削減につなげ、大幅なコストダウンを実現して利益を生み出す。デジタルツールを導入するというワンアクションで利益を創出することが、デジタル代替であるDSのメリットです。
コストが減るということは利益が増え、スピードが上がれば作業工数も減少します。つまりは議論の余地はなく、DSを行うべきか否か? 等と迷う必要はありません。メリットしかないわけですから、ただ実行すれば良いだけだと私は思います。
もしも経営者が判断に迷うことがあるとすれば、DSに対する投資でしょう。リターンが投資を上回るかどうか。これが経営判断としてあるわけですが、ほとんどの場合、デジタル化する投資よりも、得られるリターンのほうがはるかに大きいのが現実です。
なぜなら今の時代、デジタル投資は非常に安価だからです。様々なITツールが世の中に提供されていますが、厳しい市場競争によって商品の機能性は高まり、価格も驚くほど下がっています。使う側にとっては安価な導入コストでDSを実現でき、投資以上のリターンが得られる環境があるわけです。
導入に際してのハードルが一気に下がったDS
またDSを推進する上でハードルになるものとして、とくに中小企業の場合は、導入したデジタルツールが使いこなせるかどうか?という懸念があります。これまで慣れ親しんだやり方から逸脱するのは厄介だし、新たなツールを覚えるのは面倒…という障壁です。
確かに導入後は一定のトレーニングは必要になりますが、いまどきのデジタルツールの操作性は非常にシンプルで簡単なものになっています。ユーザビリティに配慮した、誰でも扱えるものであるのが基本ですから、多くの場合で心配は無用なのです。
このように、導入コストの低さと使い方の簡単さという2つの条件が整備されたことで、DS推進のハードルは一気に下がったと言えます。だからこそ、もはや悩む必要等なくシンプルに、ただやればいい。それが今の企業にとってのDSだと思います。
補足すれば、私の専門である競争戦略という視点に立ったとき、DSは「非競争領域」と言えるものです。
例えば、1990年代の終わりからインターネットが現れ、社会に大きなインパクトをもたらしました。企業活動を変える基盤的な技術として急速に発展・浸透していったわけですが、その広がりの過程は競争とは別物。どの企業も、インターネットを入れるのは当たり前、自社のホームページを持つのは当然という状況になったわけです。
同様に、DSも非競争領域のなかで、社会に無条件に浸透していく手法です。アナログをデジタルで代替するという、シンプルな移行期。本格的なDXの前段階としてDSが浸透する現代は、かつてのインターネットの黎明期と似ていると言えるでしょうね。
DXは先に戦略のストーリーを立て、デジタルの要素を入れるべき
では、話をDXに移しましょう。トランスフォーメーションとは「稼ぎ方が変わること」と言いましたが、これは単なる転換や代替でなく変革を意味するもので、つまりは戦略の領域です。
戦略の本質とは競争相手との違いを作ることであり、DXとは「デジタルの活用によって競争相手との違いをつくり、企業の稼ぎ方をより良いものへと変革させる」という定義であると言えます。
これは経営者の戦略的な意思決定がベースになりますから、DSとは違い、中身については正解がない世界です。スポーツにたとえるなら、規定演技がDSで、自由演技がDXといったイメージでしょうか。すべきことが決まっていて、必ずやらなければならないのがDS、何をやるかはその人の意思決定次第で、セオリーがないのがDXです。
この2段階に分けて考えることが、DSおよびDXの推進を、より分かりやすく理解することにつながると思います。
そうした点を踏まえ、ではどのようにDXを進めていけば良いのか。DXは戦略的な意思決定がベースにあると言いましたが、まさに経営者自らそれをつくることが求められます。先に戦略のストーリーを立て、そこに様々なデジタルの要素を入れていく。この順番が、DXにおいては非常に重要なのです。
DSというレシピがなければ、DXという美味しい料理は作れない
仮にこの順序が逆転してしまうと、どういうことになるのでしょうか。
例えば、すごく良い肉が入ったから、とりあえずこれで何を作ろう、という状態。目的は美味しい料理をつくることであり、そのお肉を使うことではありません。つまりレシピもないのに、美味しい料理はできないのです。ツールありきではDXは進まない。先に目的と戦略のストーリーを明確にし、そこにデジタルツールという要素を入れていくのがDXなのです。
その際の目的は、いわば企業にとっての「勝利条件」のことであり、本来はいたって明快なものです。つまりビジネスとは、「いかに儲けるか」に集約されるわけです。
このシンプルなビジネスの原理原則にそって考えるべきで、だからこそDSは迷いなく進めて良いものであり、DXもこの原則に立つなかで戦略のストーリーを考えていけば良いのです。
戦略のストーリーの中身は企業によってまちまちで、そこに正解はないわけですが、一方で現在の中小企業を俯瞰して見ると、多くの経営者が考えていることは、DXでなくDSだという気がします。もちろん、段階としてはそれで構いません。
まずはDSを迷うことなく実践する。そして大切なのは、DSによって浮いたコストを、DXへと振り向ける思考を持つことです。
難易度や手っ取り早さという点でDS→DXという順序があると同時に、DXは大きな投資になるためリスクを取らなければなりません。DXに伴うリスクを取ることを可能するためにも、まずはDSによって収益の改善をはかるのが重要であることを、是非知っておいてほしいと思います。
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■ 楠木建(くすのき・けん)
一橋ビジネススクール教授
1964年東京都目黒区生まれ。専攻は競争戦略で、企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。大学院での講義科目はStrategy。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師(1992)、同大学同学部助教授(1996)、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授(2000)を経て、2010年から現職。『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』等、著者多数。